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参考資料1 現在の「薬害を学ぼう」 (5 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000197733_00007.html
出典情報 医薬・生活衛生局が実施する検討会 薬害を学び再発を防止するための教育に関する検討会(第23回 3/26)《厚生労働省》
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(⑳ 被害者がどのようなことに苦しんできたのかを監理してみましょう。

⑳) 被害者は薬害をどのように考えているのかををまとめてみましょよう。

C型肝和炎被害者 手嶋和美さん

中学2年の息子に肝炎にかかっていると告げるのは、とても辛かった

1 980年、三男出産の時に出血が止まらなくなり、フィブリ
ノゲン製剤を投与されました。米国ではそれより3年も前に、
それを使うとC型肝炎になる危険があるので使用が禁止さ
れていました。 ら年後四男を出産しま した。それから十数年
後、検査の結果、 私はC型の慢性肝炎になっていました。肝
神変や肝蔵ガンになって死ぬ率が高い怖い病気です。恐れて
いた四男への母子感染も判明。何も知らずに私は息子に肝
炎ウィルスをうつしてしまっていたのです。授業や部活に日々

充実した中学校生活をおくっている四男に何と説明したらい

いのか…。何日も悩みました。告知した 0

時、「そうやろうねえ」と四男は覚悟を 了

決めたようにそう言い、黙って自分の
部屋に入りました。その日、夕食時には
明るく振舞っていた息子の気持ちを考
えると 米国で使用が禁止された時に日本でも同じように
対応していれば、そうしたら私達母子はC型肝炎になること
はありませんでした。二度と薬害を起ことさないでほしい。私は
そのために精一杯のことをしたいと考えています。 F

※でC型肝炎に関する詳しい情報は、「薬害肝炎全国原告田ホームページ」 http:/www.yakugai-hcv.jp/ 参照

MMRワクチン被害者のお母さん 上野裕子さん

早くMMRワクチンを中止してほしかった

私の娘は、MMRワクチンが導入された1989年(平成元
年)の6月に生まれました。1 991年4月娘が] 歳10ヶ月に
なった時、はしかの予防接種を受けさせるつもりで受診
た小児科で 「3回が1回で済むから」という医師の勧めを
断り切れずにMMRワクチンを接種されてしまいました。
当初から副作用が多発していたのに、導入から2年たった
その頃でも“ はしか単独よりMMRを" と積極的に勧めてい
る所もあったのです。何故早期に中止してその安全性につ
いて見直しをしてくれなかったのでしょうか、。小さな子ども

クロイツフェルト・〒コブプ病寝害者のご主人 上野衣彦さん
今でも心のなかで『妻を返して下さい」と叫び続けています

妻が体の不調を訴えて検査入院、 ヶ月半後に告げられた
病名は「クロイツフェルト・ヤコブ病」。この病気は現代医
学でも治療法がない100万人に1人の確率で答司する珍
しい病気だと。それはまさしく『死の宣告』でした。病気の
進行はとても早く、病名がわかった時には、もはや意思の
貴通もできず、寝たきりの状態に。私にできることは、ただ
ジッと妻の顔を見ることだけ…本当につらい毎日でした。
診断からわずか7ヶ月後に寒は力尽きて、私を残して一人
で旅立ってしまいました。「なぜヤコブ病になったのだる

の命や未来をおびやかすようなワク
チンがあってよいのでしょうか。娘は
接種から1 4日後に重い脳症にかか
り、一命はとりとめたものの元の娘に ワラテテ役容

戻ることはありませんでした。それ以 上野花さん

来、自分では何ひとつ出来なくても、無心に命のあかりを
灯し続ける娘の姿に励まされながら暮らしてきました。し
かし今でも、あの時代にMMRワクチンさえなかったらと、
残念でなりません。



う?」その後、10年前の開頭手術の
時に使用された外国製の医療用具
(ヒト乾燥硬膜)が原因であることが
わかりました。なぜ、病原体に侵され
た医療用具が製造され、流通したの
でしょうか。なぜそのような製品の輸入を国が承認したの
でしょうか。いのちが粗末に扱われる昨今、論と闘った
日々の記録を一人でも多くの人に伝え、二度と同じ過ちが

繰り返されないように強く念じています。 es