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【参考資料3】「医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会」報告書 (20 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000198856_00028.html
出典情報 創薬力の強化・安定供給の確保等のための薬事規制のあり方に関する検討会(第1回 7/10)《厚生労働省》
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1.3

医薬品流通における課題

1.3.1


薬価基準制度と医薬品流通の変遷

医薬品は、薬価基準に基づき、国によって価格(薬価)が決められ、主に製薬企業か
ら医薬品卸売販売業者を介して医療機関や薬局に販売されている。医療保険から医療
機関等に対して償還する価格(薬価)は統一的に定められている中で、製薬企業、医
薬品卸売販売業者及び医療機関等との取引は、自由取引に委ねられていることから、
医薬品卸売販売業者と医療機関等との間で取引される価格(実勢価格)と薬価の間に
は差額(薬価差)が発生している。



その上で、医薬品が適正な薬価により流通されることを目的に、薬価を実勢価格に近
づけるため、これまで実勢価格の調査(薬価調査)を行った上で、薬価改定が行われ
てきた。その際、薬価改定のルールは、薬価基準制度の下、時代とともに変更され、
それにより流通の在り方も変遷してきている。以下、薬価基準制度と医薬品流通の変
遷について記載する。

①バルクライン方式


医療用医薬品の薬価改定方式として、最初に導入されたのは、昭和 26 年(1951 年)
から実施されたバルクライン方式である。これは医薬品全体の取引量を安い方から並
べて一定の数量をカバーする1点の取引価格を基準価格とするという方式であった 4 9 。



昭和 36 年(1961 年)の国民皆保険制度の導入後、医薬品卸売販売業者と医療機関等
の取引(川下取引)では、医薬品卸売販売業者の主力取引先は医療機関が中心となっ
ていた。



当時の製薬企業と医薬品卸売販売業者の取引(川上取引)では、製薬企業が値引きの
範囲をコントロールして医療機関への販売価格を決める「値引補償制度」 5 0 であったが、
平成3年(1991 年)には再販売価格維持が疑われる行為として廃止され、製薬企業が
医薬品卸売販売業者に販売する価格(仕切価)を提示し、医薬品卸売販売業者が医療
機関等と交渉して納入価を決定する「仕切価制」へと移行した。



医療機関と医薬品卸売販売業者の取引では、当初、製薬企業ごとに取引をしていたが、
市場では市場規模が大きく汎用性の高い生活習慣病治療薬などの新薬が多数登場し、
個別の価格交渉が煩雑になったため、医療機関は複数の製薬企業の医薬品を一括して
購入することを要望し、医薬品卸売販売業者が販路拡大のためにこれを受け入れ、「総

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実勢価格の集計方法の変更に伴い、昭和 28 年(1953 年)に 90%方式に変更され、その後、薬価 と
実勢 価 格 のば ら つ きの 差 が 大き く な った こ と から 、 こ れを 解 消 する た め 、昭 和 58 年 (1983 年) に
81 %方式が導入された。
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値引補償制度:医薬品卸売販売業者が製薬企業から購入した仕入価格以下の価格で、医薬品を医療
機関に販売した場 合、医薬 品卸売販売業者は 製薬企業 と再度仕入価格の 交渉を行 い、製薬企業がこれ
を 下 げる こ と で 医 薬品 卸 売 販 売 業者 の 利 益 を 補償 し た 。 平 成元 年 ( 1989 年 )か ら 始 まっ た 日 米 構 造
協 議 にお い て 、 医 薬品 取 引 に お ける 透 明 性 と 公平 性 の 確 保 が求 め ら れ 、 平成 3 年 (1991 年) に は 公
正取引委員会が「 流通・取 引慣行に関する独 占禁止法 上の指針」を公表 し、再販 売価格維持が疑われ
る行為として廃止された。

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