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参考資料7 全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団と大臣の定期協議に係る議事録(令和3年度) (11 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_24446.html
出典情報 肝炎対策推進協議会(第29回 3/18)《厚生労働省》
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容が必要なのか、また中医協の御議論を踏まえながら、必要に応じて対応させてい ただき
たいと考えております。
以上でございます。
○奥泉

ありがとうございました。

今の御回答でよろしいですか。
○田中

一ついいですか、パンフレットですが、お持ちかと思いますが、もし、お手元に

ないようでしたら後でお渡ししますので、よろしくお願いします。
もう既にお持ちですね。ありがとうございます。
ぜひ、このパンフレットの普及をよろしくお願いしたいということでした。
以上です。
○武藤

パンフレットは事実上、保険局と歯科保健課にも最近送っております。あと、弁

護団のホームページにもアップしてございますので、御検討いただければと思っています。
よろしくお願いします。
○奥泉

そうしましたら、歯科の課題は以上でよろしいですか。

次に、3つ目の課題に移りたいと思います。モデル・コア・カリキュラムにB型肝炎の
被害、あるいは教訓を明記するということで、九州原告団の高野さんのほうからお願いい
たします。
○高野

よろしくお願いします。九州原告団の高野と申します。1947年生まれ、現在74歳

です。
職業は看護師です。国立病院や国立ハンセン病療養所で看護師長をしていました。8年
前に肝がんになりました。再発を繰り返し、3回手術を受けました。いつまた再発するか
分かりません。来年は大臣に伝えられないかもしれません。今日は被害者として、また、
看護師として話します。聞いてください。
肝がんの告知をされたとき、自分の人生はここまでと思いました。死への恐怖や不安よ
りも諦めでした。私は25歳の頃、献血でB型肝炎ウイルスへの感染を知りました。大好き
だった婚約者との結婚を楽しみにしていた矢先でした。当時は薬もワクチンもなかったの
で私は長く生きられない、相手も病気にさせてしまうかもしれないと思い、胸が苦しく張
り裂けそうでした。悩みに悩んだ末、相手に伝え、婚約は解消しました。破談を聞いて両
親は激怒しました。でも、医師からは母子感染と言われていたので、両親を苦しめると思
い、B型肝炎が理由とは言いませんでした。1人で悩みを抱え込みました。その後、間も
なく父と母は亡くなりました。母の死後、カルテを見ると、B型肝炎ウイルスに感染して
いなかったことが分かりました。大事な母を悪く思った自分が嫌になりました。結婚 も諦
めました。夢も希望もない青春時代でした。
その後、看護婦として精一杯前向きに生きてきました。これは私の誇りです。それでも、
肝がんを告知されたときに、諦めの感情が湧いてきたのは、20代半ばでB型肝炎ウイルス
への感染を知ったときから、既に人生に線引きしていたからだと思います。
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