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参考資料6 全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団と大臣の定期協議に係る議事録(令和5年度) (14 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_35798.html
出典情報 肝炎対策推進協議会(第31回 10/18)《厚生労働省》
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○武藤氏
ありがとうございます。
○奥泉氏
ありがとうございました。
そうしましたら、3つ目の課題です。
啓発・人権の課題から、医療従事者に対する研修での患者講義の実施等について、静岡原告
団の小川さんから要請させていただきます。
では、小川さん、お願いします。
○小川氏
静岡原告の小川です。夫を亡くした遺族です。
夫は、私がどうすれば喜ぶか、幸せになれるのかをいつも一番に考えてくれる人でした。仲良し
で、日々の会話も多く、買い物、旅行、後には通院もいつも一緒に行動していました。夫は、37 歳
の時、献血でキャリアと知り、39 歳の時、肝炎と言われ、即入院。これが 68 歳で亡くなった夫の
闘病生活のスタートでした。
40 代にも入院を繰り返しました。普通のサラリーマンでしたが、仕事も充実しており、やりがい
ある時期でした。できれば、3人の子供が社会人になり、結婚し、孫ができるのを見たいなあと、検
査通院を怠らず、どうにか上手に病気と付き合い、定年まで働きました。次の職場の話もありまし
たが、頑張って働き、納めるものもちゃんと納めたし、好きに生きてもいいだろうと、夫は、2人の
生活を大事にしようと、仕事は断り、2人で伊豆に移り住もうと言ってくれました。スローライフを楽
しみ始めました。
でも、4~5年たった秋、もうそろそろ邪魔をしてもいいだろうと病魔出現。肝がんに進行し、65
歳で「ステージ2」、67 歳で「ステージ3」と悪化しました。開腹切除手術、抗がん剤治療、動脈塞栓
術等で入院を 12 回繰り返しました。次々と再発し、まるでいたちごっこのようでした。小康状態の
中、下の娘にも孫が誕生。夫は膝に乗せてとても嬉しそうでした。5人の孫に囲まれ、全ての子の
孫を見たいとの願いは叶いました。
夫は、今しかないとの思いだったのか、「秋にネパールに行ってヒマラヤ遊覧飛行をしよう」と言
い出しました。お医者さんも、行ってらっしゃい、もし何かあっても大丈夫なように、現地の先生宛
てに詳しく書類を書きますよと言ってくださいました。だけれども、直後に再発、入院。旅行はもち
ろんキャンセルになりました。
痛み、微熱、だるさ、食べられない、吐き気の続く、ほとんど劇症肝炎状態でしたが、年末年
始は家で孫たちと過ごしたいと退院しました。痩せた体で、周りに心配をかけないように重ね着を
して、ふくよかに見せていました。体はごまかせても、痩せた顔はどうしようもなかったのですが。
子供や孫たちが帰って2人になった後、ある日、私がつい、「自分のせいではないのに、こんなの

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