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参考資料6 全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団と大臣の定期協議に係る議事録(令和5年度) (5 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_35798.html
出典情報 肝炎対策推進協議会(第31回 10/18)《厚生労働省》
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○奥泉氏
弁護団の奥泉です。どうぞよろしくお願いいたします。
御案内いただきましたように、本日、3つのテーマを協議させていただきます。原告団・弁護団
から、まず、要望事項あるいは協議事項を説明させていただき、その後に大臣から御回答いただ
ければと思います。
まず、恒久対策のテーマについてです。
広島原告団の小野さんから、肝がん・重度肝硬変医療費助成制度の見直しの検討状況につい
てと、あと、肝臓専門医による肝臓病の治療体制の確保、均てん化について要望させていただき
ます。
では、小野さん、お願いいたします。
○小野氏
広島原告団の小野眞紗子でございます。座らせていただきます。
私は、1947 年に広島の呉で生まれました。後に、名古屋で保育士となり、結婚して、1974 年に
娘を、1976 年に息子を授かりました。
1987 年、40 歳の時に献血をしたところ、結果の通知に、あなたはB型肝炎にかかっているので、
今後は献血しないでください。そして、専門外来を受診してくださいとありました。しかし、当時の私
はB型肝炎がどのような病気か分からず、体調も問題なく、とても元気だったので、病院には行き
ませんでした。ただ、職場には報告しなければと考え、保育園の園長にB型肝炎であると告げまし
た。すると、翌日から、希釈しないクレゾールの原液で手洗いをするように命じられ、2~3日で手
が荒れました。また、新しくできていた水洗トイレではなく、古い汲み取り式トイレを使うように言わ
れました。
さらに、ある同僚からは、「早く辞めたらどう」「退職金が幾らもらえるそうよ」などと毎日のように
言われ、とても嫌な気分でした。
結局、私は、1989 年、42 歳の時に保育園を辞め、自宅近くの県立定時制高校の調理員となり、
5年間勤めました。その後、コンビニ弁当や惣菜作りの会社でパートとして働きました。いずれの
履歴書にもB型肝炎と書きましたが、問題なく受け入れてもらいました。
1998 年、51 歳の時、広島の特別養護老人ホームの調理員のお話がありました。面接時にB型
肝炎の話をすると、「専門外来を受診しながら働いてください」「もし指を切るなど出血した時は、傷
の手当てをしてから手袋で荷物の出し入れや掃除に回ってください」と言われました。それまでの
職場でこうした指示を受けたことはありませんでした。
特養ホームであるため、看護師が常駐し、また、大学病院勤務の医師が定期的に来ている職
場だったので、B型肝炎患者に対する正確な対応がされたのだと思います。私たちが、今、とても
大事だと思っている受診・受療を促す肝炎コーディネーターの仕事をまさに当時の特養ホームの
職員たちが果たしていたことになります。

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