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参考資料1 落合委員提出資料 (6 ページ)
出典
公開元URL | https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/committee/241112/agenda.html |
出典情報 | 規制改革推進会議(第21回 11/12)《内閣府》 |
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そこに潜む限界にも留意すること。確かに、「大きなビジョンを立ててそこから考
える」というアプローチは合意形成がしやすいという側面があり、長期的な計画が
欠け、縦割り・サイロ側に陥りやすい我が国では一層活用されるべきである 13。し
かし、ビジョンそのものが妥当であるかは、実際の実務が積み重なる中で問題を発
見する場合もある。このような場合に、誤りを直視し方針修正を行うことが苦手な
ことが、我が国においては根本課題の一つである。そのビジョンが本当に妥当なも
のかは絶えず顧みられるべきである。また、そもそも、情勢変化が素早く、価値観
も多様化した現代では、万人に合意形成が可能な大きなビジョンというもの自体存
在するのかも絶えず考えるべきである。
2 ファクトベース・合理的な差分比較による検討を進めること
往々にして、現行の仕組みにおいても一定のリスクを暗に許容しながら提供されているサ
ービスが存在しているにもかかわらず、規制改革を通じて実現を目指す新たなサービスに
対して過度な安全性を求める議論が行われることがある。その要因としては、第一に、エ
ピソードベースで議論されてしまうこと、第二に、規制を変更すると生じうるリスクのみ
に焦点を当てて議論されてしまうことが挙げられる。
エピソードベースでの議論としては、例えば、全体の中で一部の者が体験等した事例、経
験をヒアリングし、それをもとに弊害防止のみを目的として、規制対象社の事業上の合理性
を考慮せずに規制の議論が行われるような場面に直面がある。しかし、これでは議論が偏在
または矮小なものとなってしまうし、細かな条件付けや代替案の提示等といった効果的な議
論ができない。そこで、エピソードベースではなくファクトベース、つまり事実(ファク
ト)をもとにして、できる限り定量的に議論がされるべきである。例えば、スモールモビリ
ティに関しては、事故が発生しないことをどこまで考えるかが論点であり続けている。この
点、自動車事故で年間約 2500 人もの死者が生じ、被害者による加害者(場合により不具合
が生じた場合のメーカーも含まれうる)への処罰感情も峻烈であると議論されるが、自動車
自体を禁止する規制が採用されることはない。メリットとデメリットの比較は明示または黙
示に比較をされ、危険があるものであったとしても直ちに全面禁止されるわけではない。
非明示的なリスクのアセスメントや社会的比較衡量は、どうしてもエピソードベースにな
りがちである。そうすると、一つの事故・事件が契機で過度な規制強化という反動的対応に
至ることとなる。我が国では高等学校、大学の進学率も一定の水準を超えており、諸外国に
比しても科学的議論を行うための基礎学習の素地が存在することを活用すべきと思われる。
一方で、データに基づく定量的な評価、比較衡量を行うことについて、行政を含む様々なス
テークホルダーが避けていることで、政策議論におけるデータリテラシー、定量的議論の機
13
例:医療データについては、長らく司令塔機能が欠けている側面があり、一次利用、二次
利用を総合した戦略、法制度とシステム、DB の配備を総合的に検討する視点などが欠けて
おり、医療データ整備のあり方について規制改革推進会議でも議論を行ったところである。
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える」というアプローチは合意形成がしやすいという側面があり、長期的な計画が
欠け、縦割り・サイロ側に陥りやすい我が国では一層活用されるべきである 13。し
かし、ビジョンそのものが妥当であるかは、実際の実務が積み重なる中で問題を発
見する場合もある。このような場合に、誤りを直視し方針修正を行うことが苦手な
ことが、我が国においては根本課題の一つである。そのビジョンが本当に妥当なも
のかは絶えず顧みられるべきである。また、そもそも、情勢変化が素早く、価値観
も多様化した現代では、万人に合意形成が可能な大きなビジョンというもの自体存
在するのかも絶えず考えるべきである。
2 ファクトベース・合理的な差分比較による検討を進めること
往々にして、現行の仕組みにおいても一定のリスクを暗に許容しながら提供されているサ
ービスが存在しているにもかかわらず、規制改革を通じて実現を目指す新たなサービスに
対して過度な安全性を求める議論が行われることがある。その要因としては、第一に、エ
ピソードベースで議論されてしまうこと、第二に、規制を変更すると生じうるリスクのみ
に焦点を当てて議論されてしまうことが挙げられる。
エピソードベースでの議論としては、例えば、全体の中で一部の者が体験等した事例、経
験をヒアリングし、それをもとに弊害防止のみを目的として、規制対象社の事業上の合理性
を考慮せずに規制の議論が行われるような場面に直面がある。しかし、これでは議論が偏在
または矮小なものとなってしまうし、細かな条件付けや代替案の提示等といった効果的な議
論ができない。そこで、エピソードベースではなくファクトベース、つまり事実(ファク
ト)をもとにして、できる限り定量的に議論がされるべきである。例えば、スモールモビリ
ティに関しては、事故が発生しないことをどこまで考えるかが論点であり続けている。この
点、自動車事故で年間約 2500 人もの死者が生じ、被害者による加害者(場合により不具合
が生じた場合のメーカーも含まれうる)への処罰感情も峻烈であると議論されるが、自動車
自体を禁止する規制が採用されることはない。メリットとデメリットの比較は明示または黙
示に比較をされ、危険があるものであったとしても直ちに全面禁止されるわけではない。
非明示的なリスクのアセスメントや社会的比較衡量は、どうしてもエピソードベースにな
りがちである。そうすると、一つの事故・事件が契機で過度な規制強化という反動的対応に
至ることとなる。我が国では高等学校、大学の進学率も一定の水準を超えており、諸外国に
比しても科学的議論を行うための基礎学習の素地が存在することを活用すべきと思われる。
一方で、データに基づく定量的な評価、比較衡量を行うことについて、行政を含む様々なス
テークホルダーが避けていることで、政策議論におけるデータリテラシー、定量的議論の機
13
例:医療データについては、長らく司令塔機能が欠けている側面があり、一次利用、二次
利用を総合した戦略、法制度とシステム、DB の配備を総合的に検討する視点などが欠けて
おり、医療データ整備のあり方について規制改革推進会議でも議論を行ったところである。
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