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「医療保険制度の将来構想の検討のための調査研究Ⅰ(制度の変遷と将来構想の検討)検討委員会報告書」 (48 ページ)
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公開元URL | https://www.kenporen.com/press/ |
出典情報 | 医療保険制度の将来構想の検討のための調査研究Ⅰ(5/17)《健康保険組合連合会》 |
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1.健康保険 法 制 定 か ら の 1 0 年 ( 1 9 2 2 年 ~ 1 9 3 1 年 )
1924年4月に施行予定だった健康保険法は、関東大震災の発生によって施行延期を余儀なくされた。政府と日本医師会による初めての診
療契約の締結を経て、1927年1月、健康保険法はようやく全面施行を迎えた。このときすでに316の健康保険組合の設立が認可されていた。
健康保険法制定から10年
年間の主な動き
年月
背景、主な動き
1922年(大正11年)3月
健康保険法制定。4月22日、公布。1924年(大正13年)4月施行予定。
11月、内務省に「社会局」を設置。
1923年(大正12年)9月
9月1日、関東大震災。死者10万5385人。健康保険法施行延期へ。
施行前から
設立認可が進み
施行時す でに
3 1 6 組合
1925年(大正14年)
「普通選挙法」制定。「治安維持法」制定。
1926年(大正15年)
7月1日、健康保険法の一部施行。
11月4日、政府と日本医師会との間で政府管掌健康保険に関する診療契約を締結。
内務省社会局に「保険部」設置。各都道府県に「健康保険署」設置。
1927年(昭和2年)1月
1月1日、健康保険法(保険給付、費用負担等)の全面施行。
被保険者数約200万人のうち、健康保険組合約80万人、政府管掌健康保険約114万人。
1929年(昭和4年)
世界大恐慌。
健康保険法改正(国庫負担の見直し=定率1割から被保険者1人当たり2円を標準。
事業主の協力義務。政府管掌健康保険に保険料強制徴収権。「健康保険署」廃止。
都道府県の警察部に「健康保険課」設置。
1931年(昭和6年)
満州事変。重工業化が進展。
一方、労使双方から批判も
事業主の責任が縮小
⇒ 健康保険ストライキ
労働者の欠勤増加、労
働能率低下
保険医による粗診粗療
健康保険法施行当時の診療契約の概要(1926年
年11月
月4日
日)
政府が日本医師会との間で政府管掌健康保険に関する診療契約を締結(団体請負契約、公立病院には別途委託)。
日本医師会に支払う診療報酬は人頭割。日本医師会から道府県医師会への支払いも人頭割。個々の保険医には出来高払い。
契約にもとづき、日本医師会が予算を策定し、保険医の指定と監督を行う。
診療報酬=人頭割
団体請負契約
診療報酬=人頭割
政府
日本医師会
診療報酬=出来高
道府県
医師会
保険医
保険医の指定・監督
(*なお、健康保険組合は、それぞれの実情に応じて、医師会、工場や健康保険組合の専属診療機関、公立病院等と診療契約を締結)
2. 戦時体制 の も と で の 制 度 拡 充 ( 1 9 3 2 年 ~ 1 9 4 1 年 )
戦時体制のもと、健康な労働力の確保が重要視されるなか、適用事業所の範囲拡大、家族への給付の拡大、事務系職員のための健康保
険制度の創設など健康保険制度の拡充が進められた。その一方で、患者一部負担の導入、拡大の議論も始められた。
この10年
年間の主な動き
年月
背景、主な動き
1934年(昭和9年)
健康保険法改正(強制被保険者の適用拡大。工場法等の適用事業所以外にも拡大。常時5人以上の事業所に適用)。
⇒翌年4月から施行され、被保険者数が大幅に増加。
1936年(昭和11年)
2・26事件(決起に加わった歩兵第一連隊、同第三連隊の所在地は現在、六本木の東京ミッドタウン、国立新美術館)
1937年(昭和12年)
盧溝橋事件、日中戦争へ。
1938年(昭和13年)
国家総動員法制定。厚生省創設。
旧国民健康保険法制定(「健兵健民対策」、「挙国銃後の守り」。農山漁村民や自営業者の病気による窮乏化の防止と
健康状態の改善を目指す。国民健康保険組合の任意設立)。
1939年(昭和14年)
ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦へ。
健康保険法改正(家族への任意給付の導入=法定付加給付、5割給付。結核等の給付期間延長。健康保険組合に
保険料強制徴収権)。
職員健康保険法制定(事務系職種が対象)。船員保険法制定。
1940年(昭和15年)
政府が「社会保険構成基本要綱」策定(健康保険と国民健康保険の二本建て。前者には患者一部負担導入を提言)。
1941年(昭和16年)
健康保険法改正(適用事業所の範囲を拡大)。労働者年金保険法の制定。
日本軍が真珠湾攻撃、太平洋戦争へ。
職員健康保険法の概要(1939年
年制定当時)
目的・・・これまで適用対象外であった事務系職種のための健康保険制度の創設。
保険者・・・職員健康保険組合と政府。導入当初、職員健康保険組合は約100組合、約21万人、政府管掌健康保険は約47万人(1940
年度末)
被保険者・・・強制被保険者(市または指定町村にある販売、金融、保険等の適用事業所の被用者。高所得者を除く)、選択包括被保
険者、任意包括被保険者、任意継続被保険者。
保険給付・・・療養費(療養費払い=現金給付が原則。8割給付、自己負担2割。支給期間等に上限あり)、傷病手当金、埋葬料、分娩
費、出産手当金。被保険者本人と家族も給付対象。
その他・・・健康保険の「姉妹制度」であり、制度の大部分が共通。診療報酬は、療養費払いを原則としたことにより、日本医師会との診療
契約(人頭割)は不要とされ、「勤労定額式」(点数単価方式)を採用。
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1924年4月に施行予定だった健康保険法は、関東大震災の発生によって施行延期を余儀なくされた。政府と日本医師会による初めての診
療契約の締結を経て、1927年1月、健康保険法はようやく全面施行を迎えた。このときすでに316の健康保険組合の設立が認可されていた。
健康保険法制定から10年
年間の主な動き
年月
背景、主な動き
1922年(大正11年)3月
健康保険法制定。4月22日、公布。1924年(大正13年)4月施行予定。
11月、内務省に「社会局」を設置。
1923年(大正12年)9月
9月1日、関東大震災。死者10万5385人。健康保険法施行延期へ。
施行前から
設立認可が進み
施行時す でに
3 1 6 組合
1925年(大正14年)
「普通選挙法」制定。「治安維持法」制定。
1926年(大正15年)
7月1日、健康保険法の一部施行。
11月4日、政府と日本医師会との間で政府管掌健康保険に関する診療契約を締結。
内務省社会局に「保険部」設置。各都道府県に「健康保険署」設置。
1927年(昭和2年)1月
1月1日、健康保険法(保険給付、費用負担等)の全面施行。
被保険者数約200万人のうち、健康保険組合約80万人、政府管掌健康保険約114万人。
1929年(昭和4年)
世界大恐慌。
健康保険法改正(国庫負担の見直し=定率1割から被保険者1人当たり2円を標準。
事業主の協力義務。政府管掌健康保険に保険料強制徴収権。「健康保険署」廃止。
都道府県の警察部に「健康保険課」設置。
1931年(昭和6年)
満州事変。重工業化が進展。
一方、労使双方から批判も
事業主の責任が縮小
⇒ 健康保険ストライキ
労働者の欠勤増加、労
働能率低下
保険医による粗診粗療
健康保険法施行当時の診療契約の概要(1926年
年11月
月4日
日)
政府が日本医師会との間で政府管掌健康保険に関する診療契約を締結(団体請負契約、公立病院には別途委託)。
日本医師会に支払う診療報酬は人頭割。日本医師会から道府県医師会への支払いも人頭割。個々の保険医には出来高払い。
契約にもとづき、日本医師会が予算を策定し、保険医の指定と監督を行う。
診療報酬=人頭割
団体請負契約
診療報酬=人頭割
政府
日本医師会
診療報酬=出来高
道府県
医師会
保険医
保険医の指定・監督
(*なお、健康保険組合は、それぞれの実情に応じて、医師会、工場や健康保険組合の専属診療機関、公立病院等と診療契約を締結)
2. 戦時体制 の も と で の 制 度 拡 充 ( 1 9 3 2 年 ~ 1 9 4 1 年 )
戦時体制のもと、健康な労働力の確保が重要視されるなか、適用事業所の範囲拡大、家族への給付の拡大、事務系職員のための健康保
険制度の創設など健康保険制度の拡充が進められた。その一方で、患者一部負担の導入、拡大の議論も始められた。
この10年
年間の主な動き
年月
背景、主な動き
1934年(昭和9年)
健康保険法改正(強制被保険者の適用拡大。工場法等の適用事業所以外にも拡大。常時5人以上の事業所に適用)。
⇒翌年4月から施行され、被保険者数が大幅に増加。
1936年(昭和11年)
2・26事件(決起に加わった歩兵第一連隊、同第三連隊の所在地は現在、六本木の東京ミッドタウン、国立新美術館)
1937年(昭和12年)
盧溝橋事件、日中戦争へ。
1938年(昭和13年)
国家総動員法制定。厚生省創設。
旧国民健康保険法制定(「健兵健民対策」、「挙国銃後の守り」。農山漁村民や自営業者の病気による窮乏化の防止と
健康状態の改善を目指す。国民健康保険組合の任意設立)。
1939年(昭和14年)
ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦へ。
健康保険法改正(家族への任意給付の導入=法定付加給付、5割給付。結核等の給付期間延長。健康保険組合に
保険料強制徴収権)。
職員健康保険法制定(事務系職種が対象)。船員保険法制定。
1940年(昭和15年)
政府が「社会保険構成基本要綱」策定(健康保険と国民健康保険の二本建て。前者には患者一部負担導入を提言)。
1941年(昭和16年)
健康保険法改正(適用事業所の範囲を拡大)。労働者年金保険法の制定。
日本軍が真珠湾攻撃、太平洋戦争へ。
職員健康保険法の概要(1939年
年制定当時)
目的・・・これまで適用対象外であった事務系職種のための健康保険制度の創設。
保険者・・・職員健康保険組合と政府。導入当初、職員健康保険組合は約100組合、約21万人、政府管掌健康保険は約47万人(1940
年度末)
被保険者・・・強制被保険者(市または指定町村にある販売、金融、保険等の適用事業所の被用者。高所得者を除く)、選択包括被保
険者、任意包括被保険者、任意継続被保険者。
保険給付・・・療養費(療養費払い=現金給付が原則。8割給付、自己負担2割。支給期間等に上限あり)、傷病手当金、埋葬料、分娩
費、出産手当金。被保険者本人と家族も給付対象。
その他・・・健康保険の「姉妹制度」であり、制度の大部分が共通。診療報酬は、療養費払いを原則としたことにより、日本医師会との診療
契約(人頭割)は不要とされ、「勤労定額式」(点数単価方式)を採用。
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