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「医療保険制度の将来構想の検討のための調査研究Ⅰ(制度の変遷と将来構想の検討)検討委員会報告書」 (49 ページ)

公開元URL https://www.kenporen.com/press/
出典情報 医療保険制度の将来構想の検討のための調査研究Ⅰ(5/17)《健康保険組合連合会》
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3. 終戦と 医 療 保 険 制 度 の 基 盤 強 化 ( 1 9 4 2 年 ~ 1 9 5 1 年 )
適用範囲の拡大、国民健康保険組合の普及など医療保険制度の拡充が進められるなかで、終戦を迎え、日本国憲法の制定・公布へと、
わが国社会は大きな転換を余儀なくされた。その後も医療保険制度はめまぐるしく制度改正を重ね、基盤強化、近代化が図られていった。
この10年
年間の主な動き
年月

背景、主な動き

1942年(昭和17年)

健康保険法改正(職員健康保険法を統合、一本化。患者一部負担の導入=内服薬、注射、手術、入院1日に定額負担。保
険医の強制指定制。診療報酬の人頭割団体請負方式を改め「勤労定額式」(点数単価方式)に変更。保険医療養担当規則の
制定。適用範囲の拡大。保健施設事業の対象に被扶養者を追加。健康保険組合連合会の法定化。
国民健康保険法改正(地方長官に国民健康保険組合の強制設立命令権を付与)。
⇒全市町村の95%が普通国民健康保険組合を設立。被保険者数約3700万人。
イギリス「ベヴァリッジ報告」(全国民を対象に社会保険方式による社会保障の構築を提唱)

1943年(昭和18年)

健康保険組合連合会(公法人)の設立。

1944年(昭和19年)

健康保険法改正(業務上傷病の傷病手当金の給付期間の延長等)。健康保険組合被保険者数が政管健保を超える。
厚生省に保険局を設置。社会保険診療報酬算定協議会も設置(1950年に中央社会保険医療協議会に改組)

1945年(昭和20年)

敗戦。第二次世界大戦終結。健康保険の被保険者数が半減。健康保険組合の被保険者数は約3分の1に減少。

1946年(昭和21年)

日本国憲法制定、公布(第25条生存権、社会保障の向上・増進等)。生活保護法制定。

1947年(昭和22年)

健康保険法改正(業務上の傷病を労災制度に移管。強制被保険者の所得制限を撤廃。家族埋葬料など給付の拡充。被保険
者本人患者一部負担の任意制。国庫負担が事務費に対するものであることを明確化)。
労働者災害補償保険法、労働基準法の制定。健保連、初の「全国健康保険組合大会」を開催。

1948年(昭和23年)

健康保険法改正(被保険者本人一部負担の廃止。保険医強制指定制から任意指定制に。適用事業所の範囲拡大。健保組
合の附加給付。家族給付の法定給付化)。
国民健康保険法改正(市町村公営原則。市町村国民健康保険への強制加入)。
医療法の制定(病院、診療所の基準等)。社会保険診療報酬支払基金の設置。国家公務員共済組合法の制定。

1949年(昭和24年)

健康保険法改正(患者一部負担の復活)。健保連「全国健康保険組合大会」で給付費の3分の1国庫負担等を決議。

1950年(昭和25年)

中央社会保険医療協議会が発足。薬価基準制度の導入(翌年80%バルクライン方式採用)。

1951年(昭和26年)

国民健康保険税の創設(当時、国保の保険料収納率は77%)。

この時期の主要な提言
 1948年・・・ワンデル勧告(米国調査団勧告)⇒健保組合存続、政管健保の地方移譲、国保強制加入、政府に勧告できる審議会設置等。
 1950年・・・社会保障制度審議会(内閣総理大臣の諮問機関)「社会保障制度に関する勧告」
⇒社会保険方式。総合一元的運営のため社会保障省の設置。健保組合方式の勧奨。政管健保は都道府県、国保は市町村へ等
 1951年・・・社会保障制度審議会「社会保障制度推進に関する勧告」(第二次勧告)
⇒社会保障行政の一元化。国保、健康保険への国庫負担の拡充(給付費の2割)。政管健保は都道府県へ等

公法人・健康保険組合連合会の誕生
1942年の健康保険法改正により、「健康保険組合連合会」が法律上に明文化。「健康保険組合は共同してその目
的を達成するため健康保険組合連合会を設立することができる」と規定された。当時の主な事業は、結核療養所など医
療機関の運営、医師会との診療契約、医療費の審査支払い、体育奨励施設、講習会、運動競技大会、功労者表彰
などであった。1942年度末の健康保険組合の数は580、被保険者数は約295万人。
年月

任意団体から公法人へ

1931年(昭和6年)頃まで

地域別、業種別の事務研究会(任意団体。医師会と契約も)

1932年(昭和7年)11月

日本健康保険組合総連合会の設立(同上)

1936年(昭和11年)12月

健康保険組合連合会の設立(同上。翌年、社団法人化)

1940年(昭和15年)6月

職員健康保険組合連合会の設立(同上)

1942年(昭和17年)2月

健康保険法改正(健康保険組合連合会の法定化)

1943年(昭和18年)4月

健康保険組合連合会(公法人)の設立。設立認可4月29日、設立総会5月5日(東京会館)。従前の各
団体は発展的に解散。

健康保険組合の任意団体が
医師会と診療契約を締結
(人頭割方式、勤労定額式等)

健康保険組 合 連 合 会の 法 定 化に つ いて の 政 府 答 弁
(1942年2月、貴族院、木村社会保険局長答弁要旨)

健康保険の運営は事業管理と密接な関係を有している。従って、相当規模以上の工場、鉱山等については政府管掌よ
りも組合管掌のほうが余程行き届いた施設を為し得ると考える。中小企業にあっては財政面から見て政府管掌でなければな
らないと思っているが、相当規模以上の事業にあっては、むしろ組合管掌のほうがよいと考える。従って、今後とも組合管掌が
より良き成績をあげるよう努めたい。この度の健康保険組合の連合会を健康保険法で認めて、個々の組合では比較的困難
なことを連合会で公法的な施設としてもやり得るようにするということも考えている。

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