よむ、つかう、まなぶ。
第3章 令和5年度の自殺対策の実施状況 本文 (16 ページ)
出典
公開元URL | https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/jisatsuhakusyo2024.html |
出典情報 | 令和6年版自殺対策白書(10/29)《厚生労働省》 |
ページ画像
ダウンロードした画像を利用する際は「出典情報」を明記してください。
低解像度画像をダウンロード
プレーンテキスト
資料テキストはコンピュータによる自動処理で生成されており、完全に資料と一致しない場合があります。
テキストをコピーしてご利用いただく際は資料と付け合わせてご確認ください。
COLUMN 9
令和6年能登半島地震におけるDPATの活動を通じた
メンタルヘルスケアについて
筑波大学災害・地域精神医学教授/茨城県立こころの医療センター部長 太刀川弘和
1.令和6年能登半島地震について
令和6年1月1日、静かに迎えたはずの元日の16時10分に、石川県能登地方を震源とするマグ
ニチュード7.6、最大震度7の巨大地震が発生した。この地震により、日本海沿岸の広範囲で最大5
メートルの津波が観測されたほか、土砂災害、火災、液状化現象が各地で生じ、200人以上の死者、
約3万棟の住宅の全半壊、最大3万人以上の避難者が生じた。同日より災害救助法が適用され、翌
2日には石川県庁にDPAT調整本部が設置され、4日には全国に派遣要請がかかり、県外DPAT先
遣隊の派遣活動が開始された。
2.DPATとは
第3章
災害派遣精神医療チーム(DPAT)とは、災害後に被災地域に入り、精神医療及び精神保健活動
の支援を行う専門チームである。東日本大震災における精神保健医療ニーズへの対応に課題があっ
たことや、精神科病院が避難から取り残されたことなどの反省から平成25年に設立された。活動内
容として、精神科医、看護師、ロジスティックスで1チームを組み、数チームで本部活動、精神保
健ニーズのアセスメント、被災地での精神科医療の提供、避難所巡回、被災した医療機関の外来な
どの支援・患者避難の支援、地域医療従事者など支援者への専門的支援を行う。DPAT先遣隊や統
括者・事務担当者への研修は、日本精神科病院協会が受託した、厚生労働省委託事業DPAT事務局
が行っている。これまでにDPATは熊本地震をはじめ、全国の様々な災害に出動し、災害後急性期
から被災地のメンタルヘルス支援を行ってきた。
令和5年度の自殺対策の
実施状況
3.能登で実施したDPATの支援活動
能登半島地震では全国から延べ196隊のDPATが派遣され(令和6年4月1日時点)、1日最大約
40隊が診療活動を行った。私の所属する茨城県DPATは1月~2月まで4隊が出動し、県庁の調整
本部、七尾の活動拠点本部、珠洲、輪島の支援を順次行った。被災地では、土砂崩れで主要道路が
使えず、水道などのインフラも整わず、支援へのアクセスが困難な中で多数の住民が避難生活を
送っていた。薬が切れて不安を訴える統合失調症の患者、孤立している認知症のお年寄り、家族や
家を失い急性ストレス障害になった方など、メンタルヘルス不調者が多数見いだされた。DPATは
ほかの救援チームから情報を得て、避難所や、単身で住宅にいたこれらの方を訪問し、心理的応急
処置や処方、事例によっては入院搬送等を行った。無数のヒビが入った狭い雪道で金沢まで遠距離
の患者搬送を行う危険なミッションもあった。孤立集落では、ペットがいるので避難所に行かない
ひきこもりの子を説得し、二次避難所に避難してもらった。現地の医療従事者も疲弊しており、産
業医チームと連携して支援を行った。
4.被災者のメンタルヘルスと自殺予防
支援活動を行ってみて、本災害がこれまでと違うと感じた点が、二つある。一つは、能登の地形
と地震の甚大さから、交通アクセスが困難で孤立した被災者が多数いた点である。二つ目は、被災
者が自らこころの不調を訴えない点である。診察をしていても「特に問題ありません」と答えるが、
被害をよく聴くと親族の死や破壊された家の絶望を訴えて静かに泣かれた。
被災者に生じるメンタルヘルスの課題は災害後の時期によって異なる。災害直後から急性期まで
は力を合わせて苦難を乗り越えようとするが、1か月から数か月の中期になると、喪失の甚大さと
復興の困難さに直面し、うつ、自責感、喪失感が生じる場合もある。数か月以降の復興期には、一
部の被災者に生活パターンの激変、経済的苦境、地域の変化・喪失による二次的ストレスが生じる。
121
令和6年能登半島地震におけるDPATの活動を通じた
メンタルヘルスケアについて
筑波大学災害・地域精神医学教授/茨城県立こころの医療センター部長 太刀川弘和
1.令和6年能登半島地震について
令和6年1月1日、静かに迎えたはずの元日の16時10分に、石川県能登地方を震源とするマグ
ニチュード7.6、最大震度7の巨大地震が発生した。この地震により、日本海沿岸の広範囲で最大5
メートルの津波が観測されたほか、土砂災害、火災、液状化現象が各地で生じ、200人以上の死者、
約3万棟の住宅の全半壊、最大3万人以上の避難者が生じた。同日より災害救助法が適用され、翌
2日には石川県庁にDPAT調整本部が設置され、4日には全国に派遣要請がかかり、県外DPAT先
遣隊の派遣活動が開始された。
2.DPATとは
第3章
災害派遣精神医療チーム(DPAT)とは、災害後に被災地域に入り、精神医療及び精神保健活動
の支援を行う専門チームである。東日本大震災における精神保健医療ニーズへの対応に課題があっ
たことや、精神科病院が避難から取り残されたことなどの反省から平成25年に設立された。活動内
容として、精神科医、看護師、ロジスティックスで1チームを組み、数チームで本部活動、精神保
健ニーズのアセスメント、被災地での精神科医療の提供、避難所巡回、被災した医療機関の外来な
どの支援・患者避難の支援、地域医療従事者など支援者への専門的支援を行う。DPAT先遣隊や統
括者・事務担当者への研修は、日本精神科病院協会が受託した、厚生労働省委託事業DPAT事務局
が行っている。これまでにDPATは熊本地震をはじめ、全国の様々な災害に出動し、災害後急性期
から被災地のメンタルヘルス支援を行ってきた。
令和5年度の自殺対策の
実施状況
3.能登で実施したDPATの支援活動
能登半島地震では全国から延べ196隊のDPATが派遣され(令和6年4月1日時点)、1日最大約
40隊が診療活動を行った。私の所属する茨城県DPATは1月~2月まで4隊が出動し、県庁の調整
本部、七尾の活動拠点本部、珠洲、輪島の支援を順次行った。被災地では、土砂崩れで主要道路が
使えず、水道などのインフラも整わず、支援へのアクセスが困難な中で多数の住民が避難生活を
送っていた。薬が切れて不安を訴える統合失調症の患者、孤立している認知症のお年寄り、家族や
家を失い急性ストレス障害になった方など、メンタルヘルス不調者が多数見いだされた。DPATは
ほかの救援チームから情報を得て、避難所や、単身で住宅にいたこれらの方を訪問し、心理的応急
処置や処方、事例によっては入院搬送等を行った。無数のヒビが入った狭い雪道で金沢まで遠距離
の患者搬送を行う危険なミッションもあった。孤立集落では、ペットがいるので避難所に行かない
ひきこもりの子を説得し、二次避難所に避難してもらった。現地の医療従事者も疲弊しており、産
業医チームと連携して支援を行った。
4.被災者のメンタルヘルスと自殺予防
支援活動を行ってみて、本災害がこれまでと違うと感じた点が、二つある。一つは、能登の地形
と地震の甚大さから、交通アクセスが困難で孤立した被災者が多数いた点である。二つ目は、被災
者が自らこころの不調を訴えない点である。診察をしていても「特に問題ありません」と答えるが、
被害をよく聴くと親族の死や破壊された家の絶望を訴えて静かに泣かれた。
被災者に生じるメンタルヘルスの課題は災害後の時期によって異なる。災害直後から急性期まで
は力を合わせて苦難を乗り越えようとするが、1か月から数か月の中期になると、喪失の甚大さと
復興の困難さに直面し、うつ、自責感、喪失感が生じる場合もある。数か月以降の復興期には、一
部の被災者に生活パターンの激変、経済的苦境、地域の変化・喪失による二次的ストレスが生じる。
121