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【参考資料2】長谷川参考人提出資料 (37 ページ)
出典
公開元URL | https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_49021.html |
出典情報 | 精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会(第4回 1/15)《厚生労働省》 |
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束」されるらしい。
「なぜ?」と強く思った。
何かの「おそれ」があるからだろうか?
いただく手紙や電話での相談、情報の中に、
石川県内の精神科病院で亡くなった大畠一也さ
ん(当時 40 歳)に関するものがあった。ただ住
所が詳細まで書かれていなかったため、すぐに
は動けなかった。しかし 2017 年、私は金沢の
駅に降り立った。手がかりが十分でない中レン
タカーを借りて家を探し、夕刻にはなんとかご
自宅にたどり着くことができた。突然の訪問に
ご両親も驚かれていたが、確かに息子さんを精
写真
に寄せられた身体拘束に関する相談の
私
手紙の山
神科病院内で亡くされているとのことだった。
家の中に入れていただいた。そこは“時が止
らえなかった。
まっている”という表現が一番近いと思うよう
翌 2018 年 8 月にご両親は金沢地裁に提訴。
な空間だった。私はご両親からお話をうかが
提訴当日は金沢市内のホテル、翌日には厚労省
い、線香を仏前に手向け、その日は辞去した。
で記者会見を行い、大勢の記者に囲まれた。ご
両親もまさか、自身の人生の中でこんなことを
することになろうとは思っていなかったろう。
「一也さんが亡くなりました」
裁判の過程で明らかになった医療記録などか
一也さんは石川県に生まれ、大工の父を手伝
らその経緯を追ってみよう。
う な ど し て ご 自 宅 の 2 階 に 住 ん で い た。 ギ
ターの演奏がうまく、何本もギターを持ってい
るような青年だった。心身が不調になったた
「週末だけ」の言葉で隔離室に
め、それまでも入院したことがある県内の精神
一也さんが入院したのは 2016 年 12 月 6 日
科病院に入院することにした。両親は、また元
(火)
。最初は一般病室で過ごしていたが、12
気になって帰ってくると何の疑いもなく信じて
月9日
(金)に隔離室に移動させられる。同日
いたという。
の診療録には以下のような記載がある。
2 週間後、病院から電話があり、母が出る。
「一也さんが亡くなりました」
病院に駆け付けると、そこに動かない姿の息
子がいた。そして身体拘束されていたことを初
めて聞かされる。死因は「心不全」であると。
しかし後に、肺血栓塞栓症で亡くなっていたこ
とがわかる。
◦このため隔離を要する状態である過飲水。
◦ コップを預かろうとすると不穏あり。
◦ Zelle(=隔離室)でみる。
◦多
飲あり、1日 10 L 近く飲水していると推測されるが体
重変動は起床時~20 時で+ 1.8 Kg。
◦入
院時L/b(Labo =検査データ)で電解質もnormal
(=正常)
。
一也さんが入院中、両親は何度となく面会し
ようと病院まで行っていた。しかし会わせても
閲覧情報:医学書院 10001
◦ 病棟内で過飲水が続く。
37
◦緊
急性ないが、週末にかけて飲水の動向が予測でき
ないため、一時的に隔離開始。
vol.25 no.6 精神看護 Nov 2022
541
2024/12/24 11:32:15
「なぜ?」と強く思った。
何かの「おそれ」があるからだろうか?
いただく手紙や電話での相談、情報の中に、
石川県内の精神科病院で亡くなった大畠一也さ
ん(当時 40 歳)に関するものがあった。ただ住
所が詳細まで書かれていなかったため、すぐに
は動けなかった。しかし 2017 年、私は金沢の
駅に降り立った。手がかりが十分でない中レン
タカーを借りて家を探し、夕刻にはなんとかご
自宅にたどり着くことができた。突然の訪問に
ご両親も驚かれていたが、確かに息子さんを精
写真
に寄せられた身体拘束に関する相談の
私
手紙の山
神科病院内で亡くされているとのことだった。
家の中に入れていただいた。そこは“時が止
らえなかった。
まっている”という表現が一番近いと思うよう
翌 2018 年 8 月にご両親は金沢地裁に提訴。
な空間だった。私はご両親からお話をうかが
提訴当日は金沢市内のホテル、翌日には厚労省
い、線香を仏前に手向け、その日は辞去した。
で記者会見を行い、大勢の記者に囲まれた。ご
両親もまさか、自身の人生の中でこんなことを
することになろうとは思っていなかったろう。
「一也さんが亡くなりました」
裁判の過程で明らかになった医療記録などか
一也さんは石川県に生まれ、大工の父を手伝
らその経緯を追ってみよう。
う な ど し て ご 自 宅 の 2 階 に 住 ん で い た。 ギ
ターの演奏がうまく、何本もギターを持ってい
るような青年だった。心身が不調になったた
「週末だけ」の言葉で隔離室に
め、それまでも入院したことがある県内の精神
一也さんが入院したのは 2016 年 12 月 6 日
科病院に入院することにした。両親は、また元
(火)
。最初は一般病室で過ごしていたが、12
気になって帰ってくると何の疑いもなく信じて
月9日
(金)に隔離室に移動させられる。同日
いたという。
の診療録には以下のような記載がある。
2 週間後、病院から電話があり、母が出る。
「一也さんが亡くなりました」
病院に駆け付けると、そこに動かない姿の息
子がいた。そして身体拘束されていたことを初
めて聞かされる。死因は「心不全」であると。
しかし後に、肺血栓塞栓症で亡くなっていたこ
とがわかる。
◦このため隔離を要する状態である過飲水。
◦ コップを預かろうとすると不穏あり。
◦ Zelle(=隔離室)でみる。
◦多
飲あり、1日 10 L 近く飲水していると推測されるが体
重変動は起床時~20 時で+ 1.8 Kg。
◦入
院時L/b(Labo =検査データ)で電解質もnormal
(=正常)
。
一也さんが入院中、両親は何度となく面会し
ようと病院まで行っていた。しかし会わせても
閲覧情報:医学書院 10001
◦ 病棟内で過飲水が続く。
37
◦緊
急性ないが、週末にかけて飲水の動向が予測でき
ないため、一時的に隔離開始。
vol.25 no.6 精神看護 Nov 2022
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2024/12/24 11:32:15